プレイズソンググループ「ラ・ヴィーニュ」の代表せいさんがゴスペルに関する個人的な想いを綴ります。
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究極の課題
2007-08-01 Wed 16:12
いま悩んでいること。
ゴスペルのクワイヤには必ずつきまとう問題だと思います。賛美であるということと、技術的なこととをどのような比重で考えるかと言うこと。

音楽をやるからにはうまく演奏したい。それは誰でもが持っている願望です。しかし、現実はそんなに簡単にうまくはならない。特に、ゴスペルクワイヤは素人の集まりなのでなかなかうまくなりません。少しでもすばらしい歌声で神さまを賛美したいという思いがある。一方では、賛美なんだから、下手でもいい。下手でも神さまはわかってくださるという思いもある。

どのクワイヤもこのジレンマを抱えていると思います。どこに答えがあるのでしょうか。一生かかっても答えが出そうにありません。
私たちのディレクターは音楽は危ないといいます。悪魔がつけいりやすいところだといいます。あまりうまくなっても、今度はそれがそのこと自体に目が向いて神さまのための賛美ではなく自分の名声や富のために利用する道具となってしまわないように気をつけないとといいます。ボクの場合はそんな心配はまずありませんが。それほど気をつけなければならないといっています。技術ばかり求めるのもよくないことの一例でしょう。

特に一番難しいのは、心から賛美をしようとしている人に対して技術的な指摘をしなければいけないこと。本当に苦しいです。その人の賛美の心をともすれば無くさせる行為なのですから。そんなことをしなくてもみんなで自然にうまくなるように持って行けるのが一番理想なのでしょうが、現実はそんなにあまくありません。自分の欠点に気がつかない人もいます。その人には指摘しなければ気がつきません。

神さまがよい道を示してくれることを願って祈り、練習するしかないのでしょうが。
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